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2000/8/8                  42号


喜怒哀楽

ただいまのテーマ

ニルスの不思議な旅

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 スコーネの中南部にある西ヴェンメンヘイというところに14さいぐらいの少年が住んでいた。少年の名前は、ニルス・ホルゲルソン。もしかすると日本で最もよく知られているスウェーデン人かもしれない。
 (余談だが、以前名前について書いた内容をご記憶の方には、もうお解りだろうが、父親の名前はホルゲル・ニルソン。つまりニルスのおじいちゃんもニルスという名前だったらしい)

 農家に住むというトムテ(小人)にいたずらをしたため、自分も小人にされてしまう少年だ。ニルスは、雁のむれと一緒にラップランド(スウェーデンの最北)に行きたがる自分の家のガチョウのモルテンを引き止めようとして、結局自分もその旅に出る事になる。
 そして、長い旅の結果、いたずらで怠け者の少年から、賢く思いやり深い少年へと変身していくのである。

 じつは、わたしも子供の頃、この話を読んだことがある。しかし、それがスウェーデンの話だったという記憶もないし、内容にもさして深い感銘を受けなかった。

 ところが、スウェーデン関係のホームページをみるようになって、日本ではこの話がアニメーションになったこともあってか、かなり根強いファンがたくさんいることを知った。そのひとりmassaさんのニルスにかける情熱に感化されて、この夏、全巻を読んでみた。それもmassaさんのお薦め通り完訳に近い偕成社文庫の全四巻。

 おもしろかった。

 作者のセルマ・ラーゲルレーヴはスウェーデンの中西部モールバッカの旧家に生まれた。実は、彼女は、女性で初めてノーベル文学賞をとった人だ。しかも、それはスウェーデンで初めてのノーベル賞でもあった。そのせいか、現行の20クローネ札は、表がセルマ、裏はニルスの図柄である。

 日本語にもいくつか訳されているが、二ルス以外は廃刊になっているようで、手に入りにくい。多くが、スウェーデンの伝承や、キリスト教的精神に基づいて書かれたものである。
 もちろん「ニルス」もその二つの基本満載。
 そもそも、この話は、スウェーデンの教育委員会の依頼で小学生用の、スウェーデンの地理や歴史が興味深く学べるための副教材として書かれた。
 セルマは、その企画に共感し、この仕事をぜひしたいと思ったのだが、同時にその難しさに苦慮した。そして、三年の月日をかけて書き上げるのだ。その顛末は、本文の中にも載っている。
 セルマとおぼしき女性作家が、今は人手に渡ってしまった自分の生家をこっそり訪ねるくだりがある。子供のための地理の本を書く仕事に行き詰まっていたその女性作家は、生家の庭で小人のニルスにあう。そしてニルスの不思議な旅について聞き、それを書けば良いと思いつくのである。

 ニルスという狂言回しを得て、スウェーデンの地理が次々と紹介される。確かに、一級のスウェーデン案内になっている。そして、そこには、セルマの哲学もめ一杯盛り込まれる事になる。完訳本でない「ニルス」は全体のストーリーを簡単に追うだけになってしまって、このセルマの哲学を十分に堪能することができない。
 無理はない。全部で55章もある力作なのだ。子供向けにまとめようとすると殆ど割愛されてしまう。さらに、多くの訳が、英語版からの再訳なので、スウェーデン語のニュアンスとは違ってきてしまうと言う弊害もある。

 セルマの哲学とは。
 内容について書くのも野暮だが、ひとつだけ。

 ニルスは、ある日、華やかな都で、市場の商人から物を勧められる。ニルスにはお金がない。さっき、砂浜で古いコインを見つけたが、古すぎるのでそのまま捨ててきてしまったのだ。
 なぜか、市場の人達は、商人とニルスのやり取りを息をひそめて注目している。商人は品物をどんどん値引いてくれる。でも、二ルスにはお金がない。買いたくても買えない。売れない商人は泣きそうになる。とうとうたまらなくなって、その都から駆け出る。
 すると、あったはずの都が消えてしまう。
 事情を聞くと、栄華を誇って、奢ったために、幻にされてしまった都だと言う。一年に一度だけ地上に姿をあらわし、誰かに物を売る事が出きれば、再び現実の都に戻る事ができる。それで、都の人々は、二ルスと商人との駆け引きに息をのんでいたのだ。
 それを聞いたニルスは、あの時あの古いコインを拾ってさえいれば、あの人達皆をたすけることができたのに、と大泣きする。そうすれば、あの美しい都が今も現実のものであったのに、と深い後悔の念にさいなまれる。

 面白いでしょ。しかし、話はここでは終わらない。

 その後、二ルスは、今は廃墟となったゴットランド島のはずれの町を訪れる。そして、それを見ながら、こう思うのだ。
「あの栄華の町も時がこれば、いずれこうなるのだ。やはり、なるようになるのが、いちばんいいのだ」

 セルマは子供時代をすごした、モールバッカの家を親の倒産によって手放した。そこは、足に障害があって歩けなかったセルマを両親が慈しんで育て、なんとか歩けるようにしてくれた家でもあった。父親がピアノをひいてダンスを踊った、温かい思い出の一杯詰まった家だった。ニルスの話のなかで、こっそりと生家を訪れた女性作家は、さびれたその屋敷を前に、今は亡き父親に「この家にもう一度帰りたい」と祈る。

 「ニルス」の発表された二年後1909年、セルマはノーベル賞を受賞する。そして、その賞金で、この家を買い戻した。そこで生涯を全うするのである。
 今、バームランドのモールバッカのこの屋敷は、セルマの博物館として、世界中から多くの人々が訪れている。

 スウェーデン中のいろいろな町にニルスホルゲルソン通りがある。この物語がいかにスウェーデン国民に愛されているかがわかる。

 まだ、環境公害が声高に騒がれていない100年前にセルマはニルスを連れ歩いた雁のリーダーにこう言わせてこの物語を終わっている。

「人間はこの世の中で自分達だけで暮らしているのだと思ってはいけない。あんたがたは大きな土地をもっているのだから、すこしばかりの自然をわたしたちのような貧しい鳥や獣が安心していられるように、わけてくれることができるのだということを、考えてもらいたい」

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