| 学校3 |
スウェーデンに来る前に、「スウェーデンでは母国語の教育が保障されている」という一文を読んで、びっくりした。 そして、実際に来てみたら、確かにそう言う制度があった。 例えば、日本人のこどもとその親が、希望すれば、できる限り日本語のわかる教師をさがして、日本語能力の維持に努めてくれる。 かつては、たったひとりの日本人生徒のためにだけでも、日本語のわかる教師(多くの場合、スウェーデン在住の日本人)をつけてくれた。ところが、ご多分に漏れず、いろいろな予算が削られている昨今、なかなか一人の為に母国語の教師をつけるのは難しい状況になった。一説では、5人あつまれば、母国語の教育を受けられるそうだ。 ただ、この母国語の教育というのは、全ての授業を日本語で受けられる日本人学校のようなものではなく、基本的には、スウェーデンの学校に通うのだが、週に一時間ぐらいは、日本語の授業も受けられるということだ。 そして、現状では、日本語能力維持のためのクラスというより、スウェーデン語のわからない日本人のこどもと週に1回接して、学校のわからないところや、テキストのわからないところを教えたり、教師との間の通訳をしたり、外国の学校で不安定になっている子供の精神安定の役目をしたりといったニュアンスが強い。 見知らぬ外国人ばかりの学校に、いきなり通うはめになった子供達にとって、学校で日本語が話せると言うだけで、ずいぶん、うれしいことなのだ。 そういうシステムが、確立されているというのもすごいでしょ。 我が家のこどもたちも、学校に行き始めた時「日本語の先生がほしいか」と尋ねられた。とりあえず、親は教師と英語で意思疎通ができるし、子供に必要なのは、むしろスウェーデン語の教師だろうと思い、辞退した。 「そうか、よかった。教師の費用は、学校が出すが、この学校は遠いので、往復の交通費に関しては、ちょっと面倒な事になる。必要ないならちょうどよかった」 と、変な喜ばれ方をした。 しかし、これは、権利なので、学校としても意思を確認しないわけにはいかない。 さて、我が家のような田舎住まいはともかく、ルンドやマルモのような街中にすんでいると、日本人の居る学校をかけもちで、巡回してくれる日本人の先生がいる。親も、学校のことなどで、質問がある場合には、その時間をみはからって、学校にいけば、その先生に会う事ができる。繰り返しになるが、これは、いいシステムだ。 たとえば、日本で教師をしている知人の小学校のクラスにブラジルからの男の子が入ってきた。当然、コミュニケーションが不可能だ。特に、親との連絡がむずかしい。 そのうちに、少年は多少の日本語を覚えた。個別面談の時、担任は、少年に通訳を頼まざるをえない。 「○○君は、ちょっと乱暴なところがあって、他の子との争いが絶えないんですが…」 少年が、横に居る母親に伝える。母親は、ニコニコしている。 「お母さん、わかっているのかなあ」と、少年に聞く。少年は、にっこり、 「うん、わかったって、言っているよ」 「忘れ物も多いし、授業中もじっとしていない事が多いのですが」 少年が伝える。お母さん相変わらずにこにこ…。 そして、面談の後も、おかあさんは、ニコニコと帰っていった。 知人は、どう考えても少年が、正確に通訳したとは思えない…とぼやいていた。 さて、ルンドの場合、移民を受け入れる体勢ができているので、日本から来た子供達はまず、移民のクラスに入れられる。そこでは、数人のスウェーデン語の理解できない子供達が、学年を超えて一緒に授業を受ける。 そして、一般級に行っても大丈夫と判断されると、年齢と能力に応じたクラスに通う事になる。早い子だと数週間で、一般級に移るのだが、言語体系に大きく差がある日本人の子は、いつまでも、そのクラスにいる事が多い。1年ぐらいの滞在だと、結局、移民のクラスのままで、帰国ということもある。 とはいえ、完全に隔離されているわけではなく、音楽、体育などの言語にあまり頼らない授業については、交流する事も多いようだ。 しかし、移民のクラスは、問題が多く、例えば、生活が変わった上に、言葉もわからないという状況のなかで、必ずしも、どの子も落ちついていられるわけではない。中には、ストレスから、他の子に暴力をふるったりという問題行動に出る子もいる。 特に、日本人のように集団教育をきちんと受けてきた国民には、理解できないようなケースもあるようだ。 低学年で、言語があまり関係ない年齢は、そのまま一般級に組み込まれる事もある。また、難民の受け入れを拒否しているコミュン(自治体)では、移民のクラスを持っていないため、そのまま、一般のクラスに入る。 しかし、それらの場合でも、スウェーデン語の特別授業が保障されていて、週に何回かほとんど個人レッスンにちかいスウェーデン語の授業を受ける事ができる。 かつて住んでいた茨城県のつくば市は、外国人研究者が多かったため、同じような、日本語の特別授業が週に2回ほど行われていた。しかし、これは、父兄の中のボランティアによって、成り立っていた。もちろん言語教育のプロではない。 自治体からきちんとお金がでて、権利として認められているスウェーデンとは大きく異なる。 そうした、いたれりつくせりのシステムは、国の方針として、移民や難民を広く受け入れようという姿勢の表れでもある。難民については、また、あらためて書くつもりであるが、マルモ市を例にとると人口の4分の1が外国人なのだそうだ。 そのためマルモ市には、公立のインターナショナルスクールもある。 学校の話とは少しずれるが、例えば病院や裁判など言語が障害になる場所には、通訳を用意してもらう権利もあるのだ。 さて、我が家では、子供達もスウェーデン語が不自由な上に、親も面倒で辞書をひかないために、言語の壁を実感する事はしょっちゅうである。 「今日は、学校やすみだった」と、息子が四キロの道のりを歩いて帰ってきたこともある。 ホラーパーティーにひとりだけ、普通の格好で娘を参加させたこともある。 お弁当なしで、遠足に行かせた事もある。 始業日を間違えて、知らないうちに休ませていたこともある。 その度に「ちゃんと連絡しないあんた達が悪いんでしょ」と叱ってごまかしていましたが……、すべては、ちゃんと、書いたものを読んでいないお母さんのせいです。 艱難汝を珠にす……っていうから、頑張って、立派に育ってちょうだい。
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