| スウェーデンの作業療法士 |
スウェーデン行きが決まったとき、知人が、こんな話をしてくれた。 福祉の視察で、スウェーデンに行って感じたことは、スウェーデンでは、例えば、耳が聞こえないなら、聞こえないということを前提にして、じゃ、それをどうやって補うかを考える。 日本の場合は、少しでも聴力が残っている場合は、それを鍛えて、すこしでも健常に近づける方法を考える。 方法自体はどちらがいいかは、一概にいえないが、基本にある考え方として、スウェーデンの場合、障害を個性として捕らえている。が、日本の場合、あくまで、健常な状態をベストと考え、なるべく、その基準に近づけさせようと努力をしている。 「障害を個性としてとらえる」国。その考え方は、わたしには、とても素敵に思えた。 さて、河本さんの本の中で、特にすごい!と思われる話を2つあげたい。 ひとつめ。 同じ作業療法士である女性の子供が、障害を持って生まれてきた。あいにく、夫とも離婚することになって、彼女は、ひとりでその子供を育てなければならない。 しかし、手はかかるし、仕事との両立は大変だ。そうこうしているうちに、仕事は解雇になってしまう。 実は、わたしの友人にも、全く同じ運命を背負った人がいる。彼女は、商売がうまくいかず、自己破産した。なおかつ高齢出産で未婚で生んだ子供は、自閉症だった。 障害のある子供を預かってくれる施設は、限られる。まして、小学校に入ってしまうと、下校時間が早い。学童保育では、障害児は敬遠される。仕事を探したくても、送り迎えの時間や、通院時間にしばられて、条件が合うものがない。まして、年齢も35歳をすぎると、面接にさえも進めないことが多い。行政に訴えても、道が開けない。 全寮制のような施設はないこともないが、自閉症の治療のためにも、多くの時間を子供と過ごして、話しかけてやりたいと思っている彼女の選択肢の中にはない。 「障害児の居る母子家庭は、死ね、と思っているとしか思えない」 彼女の叫びである。 さて、スウェーデンの件の女性、自分の子供専用の介護人としてスウェーデン政府に雇われて、給料を支払われることになった。もし、彼女に他の仕事が見つかったら、その給料は、新たに雇われた介護人に支払われることになるだけだ。 ふたつめ。 スウェーデンでのこうした福祉政策は、一言で言うと平等であるべきという大原則に基づいている。それは、別の言葉でいうと「誰にも依存しないで全ての人が自立したうえで平等」ということである。 そのためには、障害者が、なるべく日常生活の不便を感じなくて良い様に、なるべく自立して生活できるように最大の援助がなされる。 後に述べる作業療法士の仕事の内容とも関連してくるのだが、そのために必要な、生活環境の改善さえもコミューンのお金で行ってくれる。 例えば、自立して通学できないのなら、移送タクシーが毎日、送り迎えしてくれる。 筆記が不自由ならば、コンピュータが支給される。学校にスロープやエレベータをつけてくれたり、介助を用意してくれるのは、当然。それどころか、家庭内でも不自由が無いように、段差のあるところにスロープをつけてくれたり、室内エレベータ、浴室の改造、台所には、稼動調理台。ときには、専用トレーニングプールまでも福祉の費用でまかなわれる。 学校に受入体勢がないので、という理由で入学を拒否されることが珍しくない日本の現状と較べると、格段の差がある。 もちろんこうした恩恵は黙っていて与えられるものではない。申請をして、主張をして勝ちとっていくものではある。しかし、ちゃんと理屈が通れば、考えてくれるという見通しがあるというだけで、闘い甲斐があるというものだ。 さて、作業療法士という仕事。わたしの持っていたイメージは、障害者の日常生活を円滑にするためのトレーニングをする人だった。リハビリの指導ですね。 ところが、このリハビリというのは、事故などで、かつて持っていた能力を失ったひとが、トレーニングしてもう一度(リ)機能を回復させようということばで、もともと機能に障害のある場合のトレーニングは、ハビリテーションというのだそうだ。 そして、スウェーデンの場合、そうしたトレーニングの指導だけでなく、生活環境(さっき書いた学校や住居などの)の指導、補助器具の指導、余暇活動の指導なども作業療法士の仕事である。 つまり、この間取りでは、動きにくいなどという設計の力、どういう補助器具が適しているかなどという技師の力、障害があるからという理由で、人生の楽しみを損なわない為の余暇の指導…河本さんの本のサブタイトルではないが、「大変なんです。でも最高に面白いんです」 作業療法士になりたい気持ちになったでしょうか。 河本さんいわく、作業療法士としての資質として大切なものは、もちろん詰め込みの知識や国家試験合格と言う資格ではなく、「自身の人間的、社会的成長ができること。人間の内に秘める長所、短所、強い面、弱い面を考慮して、患者をいたわり、患者の考え方についていける人」 スウェーデンでは現在、人口1600人にひとりの割合で作業療法士がいるそうだ。当面、作業療法士を必要としている人の数を考えると、その割合はもっと高くなる。しかし、それでも、手が足りないのが現状だそうだ。 日本では、どうなのだろう。20年以上も前になるが、障害者の介助を手伝っていたことがある。生まれつき脳性麻痺の彼女は、「世話ができないから、義務教育をうけたくないという手続きをしてくれ」と行政に言われて、義務教育をあきらめ、家庭の中だけで、過ごしていた。「でもね、ずっと、ずっと、学校にいきたかったの」 20歳過ぎて初めて、ボランティアの介助を得て、夜間中学に通い始めたのだった。 たぶん、日本も随分、改良、改善されてきているに違いない。でも、現場では精一杯の努力をしながらも、行政の壁の厚さに、無力感を感じていることが多いだろう。 河本さんは著書の中で、さりげなく「社会環境も改善して行くのが、わたし達(作業療法士)の使命である」と書いている。 繰り返しになるが、改善して行きたいという使命感が、からまわりしないで、いずれ実る可能性を信じていられる国であるというところが、スウェーデンのすごいところだ。 最後にひとこと、先日、スウェーデンを視察にきた知人の養護教師が、こう言っていた。 「あきらかに、施設、設備には、差があるけれど、ソフト面、つまり現場の教師ひとりひとりが、生徒のことを考え、行っている内容については、むしろ日本のほうが、よく考えている面も多いと思った」 現場の努力が、最大限に活かされるように「よし、まかせとけ!!」っていうのが、行政の仕事なんじゃないの!! |
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