2000/12/14                  58号


喜怒哀楽

ただいまのテーマ

シュタイナースクールとバザー

前号へ  次号へ


 
 スウェーデンでもシュタイナースクールは、主流ではない。むしろモンテッソリーの方が知名度も高い。
 我が家がシュタイナスクールを選んだのは、単純に次の理由からである。

 シュタイナーの教育は、他人と比較して自分の価値を認識するのではなく、自分が自分である事が素晴らしいと思うことから始まる。
 そして、知識を吸収する体系も、自分の身近なところから、外へ向かって広がって行くようにカリキュラムされている。そのため、知識をぶつ切りで覚えるのではなく、例えば絵を書いていくなかで円を覚えるというように、流れの中に知識が存在している。

 さらに、興味深いのは、魂は、自分にいちばんあった体を選んで入ってくるのだが、往々にしてそれが、完璧にぴったりくるというわけではない。そのため、7歳ぐらいまでは、体を自分の魂に合わせようと格闘する。ぴったりとあっていた子供は、かなり早いうちから器用に体をつかいこなせるが、あっていない子供は、ぎくしゃくとしながら、徐々に自分の体をつくりかえていかなければならない。
 そのため、その時期に病気になったりすることもある。

 理想は、魂が体を十分に使いこなす事ができ、さらに居心地よく過ごすことができることである。感情表現が体でできるのは、大事な事だ。頭ばかりを使っても、体が自分のモノになっていないと、人は健やかに生きることができない。

 そして、それをトレーニングするためにも、シュタイナースクールでは、手を使った作業の時間が多く取られている。たとえば、木工、裁縫、皮細工などなど…。
 研究したプロジェクトをレポートする時、絵を多用するのも特徴である。しかもそれらの絵は、線を使って細密に描くより、色を使って表現する。
 もともとシュタイナーは人智学(アントロポゾフィー)を基本としている。そこでは、色が人間に与える影響を重視している。その為シュタイナースクールの教室はその年代の子供達がもっとも必要とする色に塗り分けられている。
 一年生の教室は淡いピンクだった。二年生の教室は薄いオレンジである。

 我が家には、本当に不器用な息子がいて、14歳にもなるのだが、まだ、体が自分のものになっていないようなところがある。難病というのも患って、今までの人生の半分近くを病院ですごしていたりもした。

 そう言う子供が、日本の学校体系の中にいると、どうしても他人と較べられて、なおかつ、十分に戦うことができず、劣等感だけを積み重ねて行くことになりがちだ。
 それは、すなわち日本の社会の中で、自分が無価値であるという誤った認識を持ちやすいということでもある。

 しかし、人と較べて、人より余計にお金をもっていることが、人よりよい点を取れることが、人よりよい給料を取ることが……幸せだと思っているうちは、人間は決して幸せになれない。自分より上はいつだっているのだ。極言すれば、世界でたった一人だけが幸せで2位以下の人はみんな不幸ということになる。そのトップだって不動のものではない。
 逆に、自分より貧乏な人、不健康な人、成績の悪い人を見て自分の幸せを確認するのもやはり、本当の幸せとは言えないだろう。

 人間が幸せに生きられるのは、自分が等身大の自分である事を、認識して、なおかつ、その自分を心から愛すという方法しかない。

 受験戦争や成績重視の人生を散々歩んできて、ひとより1点でも多く取れることに生きがいすら感じていた時期もあった自分を振りかえると、偉そうに書いているのが、恥ずかしいのだが、ま、自分のことは棚にあげて…。

 あなたが、あなたのままであることが、素晴らしい。と思える教育は、息子には最適だと思ったのだった。

 というわけで、スウェーデンに来た。ところが、周りの誰もシュタイナースクールなど知らないという。しかたなく、インターナショナルスクールに入学させた。
 しかし、調べてみるものですね。ちゃんと、ありました。スコーネ中で3校しかないのだが、そのうちの2校は、ルンド周辺。早速、引っ越して転校した。それが、今年の1月である。それから1年。

 当初、誰も知らなかったのも無理はない。シュタイナースクールは、フリースクールだったのだ。スウェーデンでは公立学校がほとんどで、マルモ、ルンド周辺で私立学校は、知っている限りでは1校だけである。当然、授業料も高い。
 ところが、フリースクールは、親が中心に運営していて、公立学校と同じように自治体からひとりあたりいくらという補助が得られる。しかし、校舎などの施設は、親が、探して工面しなくてはならないのだ。

 十数年前に、ストックホルムのシュタイナースクールから教師をまねいて、スコーネで講演会を開いた。そのとき感銘を受けた親たちがたちあがって、学校を開いたのだそうだ。そして、その初代の親の何人かがその後、シュタイナー教育の勉強をして、現在教師として働いている。

 シュタイナー教育の大きな特徴として、入学から卒業まで同じ担任というのがあげられる。つまり、9年間同じ担任なのだ。
 さらに7歳までは、体を作っている時期なので、知識を覚えるような教育は、しないほうが良い、という考えがある。そのため、普通のスウェーデンの学校では、6歳から授業らしきものがあるのだが、シュタイナーの学校では、1年生は、ほとんど遊びが中心である。
 スウェーデンでは、教育要綱のようなものにしばられなくていいらしい。

 廃校になっていた、ルンド郊外の小さな村の学校を買いとって、活動を続けた結果、今では100人を超す生徒が通うようになった。
 とはいえ、財政的に苦しいのはあいかわらずで、なにかにつけては、親が参加して経費節減をしている。
 例えば、掃除。親は一年間のローテーションを決めて、学校を掃除する。普通の学校のように掃除婦を雇えないからだ。トイレットペーパーの交換なども父兄のボランティアである。
 例えば、奉仕作業。去年の夏は、子供達が通る道筋に木を植えて風除けを作ろうと父兄が集まった。その苗木が、風除けになるには、最低でも5年はかかるだろう。成長した木を買う余裕がないのだ。
 
 こどもたちも、ただ通っていればいいというわけではない。
息子のクラスは、来年、1週間の宿泊訓練を予定している。その資金作りに、毎週、手作りケーキなどを持ち寄って、土曜日毎にルンドの市場で、販売している。
 さらに、上のクラスでは、学校便りに毎回、「仕事募集中」をだしている。自分達の労働(たとえば、ベビーシッターとか、芝刈りとか…)をお金に替えて、同じようにクラス旅行資金にしようとしているのだ。
 それらの活動が、生徒たちの自発的行動だというのがすごい。

 そして、その最大のイベントがクリスマスバザー。
バザーに向けて、あらゆるクラスで、智恵をしぼり、資金集めの方法を考えた。
 息子のクラスは、劇の上演。一人10クローナの入場料を取る。
 娘のクラスは、こどもたちの手作りろうそく販売。そして、親たちは、学校中の家庭に募って集めた、品物を使って、スウェーデン伝統のゲーム、さかなつりを主催。
 3年生のクラスは、喫茶。4年生のクラスはレストラン…などなど。

 わたしは、時間外保育のクラスのために、和紙を使ったちぎり絵のクリスマスカードを大量に作った。(いくらで売れたのか、いくつ売れたのか…恐いので、聞いてない)
 さらに、娘のクラスのためにいくつかの品物を寄付した。そして、集まった品物をよりわけて、釣られる為の袋に詰めるために、父兄で集まって、夜の作業をした。
 さらに、さらに父兄会では、売るための毛糸玉作りや、編み針作りをした。
 さらに、さらに、さらに、喫茶のクラスのためにクッキーを焼いて寄付した。

 もちろん、わたしだけがやっているわけではない。スウェーデン人の親は、言葉が自由な分だけ、もっと、主体的に協力している。

 そして、最も重要なこととして、当日参加して、喫茶でお金を払い、コーヒーを飲んで、自分の焼いたクッキーを食べた。魚釣りでは、お金を払い、自分達で詰めた中味のわかっている(しょうもない)袋をいくつか、こどもに釣らせた。販売されている他の親の手作り品をちょっと高めの価格で買った。ひとり10クローネの劇を家族全員で見た。他の親のやっているグレッグを飲み、メキシコ料理を食べた。

 そして、無事、バザーの一日は過ぎたのだった。

 その話を聞いた知人が、ひとこと、素朴な質問をしてきた。
「ね、親が自分で費用を出して、準備して、自分でお金を出して、それを買うんでしょ。どうして、はじめから、お金を集めないの?」

 ご、ごめん。それについて、明快な答えを出すには、わたしのシュタイナー学校に対する知識は、まだ、未熟だわ。



メール アイコン
メール

喜怒哀楽
トップ目次
スウェーデン報トップ
スウェーデン報トップ