| 学校4 |
日本の学校は、行事が多い。入学式から始まって、始業式、終業式、卒業式。 さらに、遠足、運動会、参観日、学習発表会にマラソン大会……。 ところが、スウェーデンの学校は、日本の感覚の行事らしい行事は、皆無と言っていい。 日本の幼稚園に行かせたイギリス人の友達が、 「日本の幼稚園は、楽しかった。いろいろな行事があったし、夏祭りとか、子どもと一緒に参加して、思い出がいっぱいある」 と、なつかしんでいた。 スウェーデンでも、入学の日は、新入生と一緒に親もやってくる。担任から、あいさつや、学校の説明などを受ける為の時間もある。しかし、いわゆる、入学式なる式典はなく、校長と地域の担当役人(教育委員会の人ですねつまり)は、新入生の教室に出向いて、そこで短いあいさつをした。 娘の学校は、新入学が二クラス分だったので、校長たちの方が、二クラスに立ち寄って挨拶したというわけ。 そして、その日は、さすがに、通常授業より早めに終わったが、それから仕事場に戻る親達のために、時間外保育は、通常通り行われた。つまり、入学の日だから、ことさら特別ということがない。 シュタイナースクールの場合は、少しだけセレモニーのようなものがあった。 校庭で、学年順に各担任が、生徒の名前を呼ぶ。すると、呼ばれた生徒は、人ごみの中から中央にすすみでて担任のところへいく。教師は、休暇開けで久しぶりにあった生徒ひとりひとりを抱きしめる。高学年になると、ちょっと照れるのか握手だけになったりもしているが。 全学年の全員が呼ばれたあとで、在校生は、教師も親もふくめて、二人1組で手をつないで、アーチを作る。その、人の作ったトンネルは、そのまま、一年生の教室の入り口まで、続く。 新一年生は、そのアーチをくぐりながら、自分たちの教室までたどりつくのだ。 義務教育卒業のときの卒業式や、高校の卒業式などは、かなりはでに、お祭り騒ぎをしているが、それは、当事者たちだけで、学校全体の行事ということではない。 なにが、いちばん違うか。 予行練習がないことだ。 劇やコンサートのような企画の時は、もちろん事前から練習をしている。しかし、立ち居振舞いための練習というのは、一切ない。 日本の学校生活を振り返ってみると、この練習、準備にかける時間がいかに膨大かに気づかされる。学習発表会の発表内容を練習するだけでなく、入場の仕方から、並び方、お辞儀の仕方まで、事細かに練習する。 卒業式の卒業証書の受け取り方も、事前に何回もリハーサル。 運動会も、入退場の練習までする。 日本で子どもの通っていた小学校では、公立小学校だったにも関わらず、授業参観日のための練習までしていた。 彼のクラスではなかったが、質問に対して、手を上げる生徒が少ないと困るので、答えのわかっている子は、手のひらを開いて、自信のない子は、手のひらを閉じて挙手するようにという取り決めまで、していた。 教師は、手のひらを開いている子だけ当てるというしくみである。親から見たら、全員が一斉に手を挙げる活発なクラスに見える。 親は、良くトレーニングされた子ども達の姿を見せられて、良い印象を抱く……たぶん。 スウェーデンの学校に子どもが通うことになって、まず、担任に言われたのは、「慣れるまで、できれば、一緒に来て欲しい」ということだった。 日本で、アメリカから来た知人が、「しばらく、子どもと一緒に教室に通いたい」と言ったら、「他の生徒の気が散りますから」と、なかなか快諾を得られなかったことがある。しかも「親が一緒だと、頼りにしてしまって、いつまでも、慣れようとしませんから」とも、言われたそうだ。 日本で、参観日ではない日に、授業を見せてもらおうと申し込んだら、「何でもない日に、親が来ると、子ども達の気が散るので、見学は参観日だけにしてください」と言われた人もいる。 そういう体験があったので、子どもが一人で通うようになってしばらくして、様子をみせてもらうために、都合を問い合わせた。なにしろ、スウェーデンでは、参観日というのがない。父兄会は、働いている親が参加できるように、通常夕方7時ごろから開かれる。だから、こどもの学校の様子を実際に見ることはできない。 「いつだったら、参観させてもらえるか」と最初、尋ねたわたしの真意を理解しかねたようだ。 「親は、来たいときにいつでもきて、見たいときにいつでも見ていいのよ」 だから、参観日などと言う特別な日を設けていないのだ。 こう書くと、スウェーデンの教師は、クラス運営に絶大な自信を持っていて、いつ来られても困らないのだろうと、思われる方もいるかもしれない。でも、そうではない。 日本人の感覚からすれば、日本の学級のほうが、ずっと、よくコントロールされている。 スウェーデンでは、授業に集中していない子、フラフラ歩き回っている子、寝ている子、教科書すら出してない子もいたりする。 しかし、それが、ありのままの姿なら、それを見てもらうことが一番の理解だという、当然の理屈がある。 著しい場合を除いて、それが、担任の指導力のなさだなどという結論に短絡的に結びつける事もない。 しかし、逆にいうと、よりよく見せようとか、目的や目標に向けて、頑張ろうとかいう機会が少ないとも言える。半ば強制的に、繰り返し練習させられて、でも、その中から、いつのまにか連帯感や、仲間意識が生まれてくるという体験も少ないようだ。 ハレの日が、意味あることになるのも、それまでに、ハレの日をどれだけ強く意識したかという思い入れと比例するもののような気もする。 だから、どっちのやり方がいいかを一概に決め付ける事ができないのは、言うまでもない。でも、わたしが、ひっかかるのは、日本の膨大な予行練習の主役は、だれだろう?と言う点である。担任や、学校の面子のために、動かされるのは、やっぱり、ちょっと違うんじゃないかなあ。 日本と比べたら数段レベルの低い発表内容などを見ながら、もうすこしちゃんと練習すれば、見ごたえのあるものになるのにと思ったりする。 その反面、自発的に無理のない実力を培って行く方が、底辺の広い力を養うのかなとも思う。 でもね、両方のいいとこどりじゃなくて、悪いとこどりになっている、我が子ども達を見てると、とほほ…と思っちゃうのよね。 だって、彼ら、努力はしない、計画も立てない、強制もされない、でも、自発性がなくて、言われたことしかしない………クロスカルチャーは、むずかしい……・
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