| 叱る文化・叱らない文化 |
先日、日本女性と結婚して長く日本に住んでいたスウェーデン男性と話をした。興味深かったのは、日本女性とスウェーデン男性の破局のパターンについての、彼の私見である。 彼いわく、 「従順で、面倒見のいい日本女性とパートナーに気配りをしてよく手伝うスウェーデン男性とは、お互いに、日本男性、スウェーデン女性にないものに惹かれ合って、結婚する。ところが、日本女性は、だんだんスウェーデン女性化してくる。あれもやって、これもやってと要求がエスカレートする。 ところが、スウェーデン女性の悪い点ばかり、学習して、スウェーデン女性のいい点は、見習わない。例えば、スウェーデン女性は自立していて、自分のことは、自分でする。 デートにしても「どこへ行こうか?」「あなたが決めて」という日本女性にたいして、スウェーデン女性は「○○に行きたい」とはっきり、自分の意見をいう。いつも「あなたが決めて」といわれると、たまには、自分で計画をたてろと言いたくなる。そのうえ、つまらないと文句を言う。 自分の立場を侵略されてもスウェーデン人男性は、争いがいやだから、出来る限り努力してみる。そして、限界を超えると、さっさと逃げてしまう。これが、ひとつの典型的な破局のパターン」 ま、この内容には、容易に多くの反論が予想されるし、私も、ちょっと意見があるのだが、それは、置いておきたい。 今回ここで、わたしが、強調したいのは、「スウェーデン人は争いが嫌い」と言う点である。 そう、スウェーデン人は、争いごとが、嫌いである。苦手と言ってもいいかもしれない。 だから、あなたが、スウェーデンで、なにか不愉快な目にあったら、大声を出して怒鳴ってみるといいかもしれない。多くの場合、びっくりして、対処に困ったスウェーデン人は、あなたの要求を飲むだろう。 例えば、先述の夫婦の例でも、わたしの日本的な感覚から言えば、限界まで我慢する前にどうして言い合わないの?と思う。喧嘩になってもいいから、主張し合えばいいじゃない。(あれっ?もしかして、これ、日本的な感覚というより、我が家的感覚?) スウェーデン人が争い事が、嫌いな例は、あちこちでみられる。だいたい、この国では「叱られる」ということが、めったにない。 例えば、日本では、「親に」「上司に」「先生に」「客に」叱られるからというのが、行動の動機付けになることが多い。夫いわく、日本は「叱られる文化」なのだ。 それに対して、スウェーデンは「叱られない文化」と言えるだろう。町で頭ごなしに子供を叱っている人を見かけたら、それは、多くの場合、外国人。家でも、学校でも、どうして叱らないのだろうと不思議に思える場面によく遭遇する。宿題を忘れようが、体操服を忘れようが、遅刻をしようが、注意されることはあっても、叱られることはない。 職場も同じ。責任を取らされるということは、あるだろうが、叱る、叱られるという関係は薄い。お互いに、争いにならないように、持ち場をきちんと分けて、侵入し合わないように距離を置いている。そのために、担当者が休むと、業務が停止することは、しばしばだ。 店員の態度が悪くても、上司がそれを叱る場面を見たこともない。客が列になって待っていても、店員がマイペースで仕事をしているのは、当然の光景だし、時には、多くの客を待たせながら、私語にあけくれている場面さえある。 しかし、客も叱らない。 スウェーデンの日常生活の中で、わたしが感じるストレスの多くは、このあたりの文化の差にある。 先日、ふと、考えてしまった。 もしかすると、この「叱らない文化」の根源にあるのは、徹底した「平等・対等」意識ではないか。「叱る・叱られる」現象の中に見られるのは、上下関係である。 親は、子供より立場が上だと思っている。 教師は、生徒より立場が上だと思っている。 上司は、部下より立場が上だと思っている。 客は、店員より立場が上だと思っている。 だから、叱りたくなるのである。 そう考えたら、スウェーデン人の人権意識の深さに、いまさら、頭がさがりましたね。 スウェーデン人はもしかすると、人間関係に臆病なのかもしれない。人との軋轢がないように、常に努力しているせいか、ストレス性の病気も多いという。 さて、我が家の場合、夫婦揃って、腹にためておくと言う芸当が出来ないタイプのため、我慢しすぎて病気になることは、絶対にないが、興奮しすぎてぶっ倒れることは、ありそうだ。 そこそこにしておきたい。 |
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